小学生時代の記憶

俺は小学2年まで勉強熱心な子供であった。どれくらい熱心かといえば漢字を覚えるために漢字ノートの1行の上から下まで延々と同じ漢字を繰り返して書き込んで、次の行でもまた別の漢字をずっと繰り返し書いて、難しいと思った漢字は2行書き込んだりもしながら、ノート1冊をまるまる余すところなくびっしりと漢字を書きまくったほど、熱心ではあったのだけど、今思うとえらく非効率的で、誰かいい勉強のやり方を教えられる大人はおらんかったのかと疑問に思わざるを得ない。あと算数に関しては、毎日ドリルの宿題が出されて、掛け算や割り算を20問ほど解いていたのだけど、俺は必ず1問か2
問間違えていた。間違えたというのは言葉通りで、わからなかったわけではない。わかる問題なのに、いわゆるケアレスミスを、かならず犯していた。その、わかるのに、間違えるということが、あまりに歯がゆくて、悔しくて、ストレスのあまり、あるとき算数ドリルに鉛筆を突き立て、ワシャワシャビリビリとめちゃくちゃにしてしまったことがあり、担任の女性の先生も「どうしたの?何かあったの?」と心配していたけど、いくら勉強熱心な優等生の当時の俺もたかが7歳や8歳で、自分の心理状態をうまく説明できるわけもなかった。いや、当時はもちろん、今でも自分の心理状態を説明するということが、酷くその能力が欠落しているように思う。だからカウンセリングとかでもまごまごする。「憂鬱な気分になりますか」と問われても、俺の気持ちが「憂鬱」という言葉の定義に当てはまるのかそうでないのかが分からずに、途方に暮れるというような、そういうことがほぼ常時ある。まぁそれはいいとして、俺は3年生からとたんに勉強しなくなった。宿題もあまりしなくなった。はっきりと記憶にある。そのころ、それだけではなく、教師の言うことにもあまり耳を貸さなくなったし、夜更かしをしがちにもなった。あのころ、俺に何があったのだろう。なんせ、ほぼ20年前の、物心がついて間もないほどのころの話だから、まるで推察する材料になる記憶が無い。記憶が断片的にしかない。あのころは、ある日、学校で配られた宿題のプリントを、ホームルームの間に片付けようとしていると、近くの席の女子に「○○くんがまだ学校なのに宿題しとる!」と担任に告げ口した。すると担任は俺のプリントを没収して、また新たなプリントを渡し、宿題は家でやりなさい、と言った。俺は告げ口されたことと担任に卑怯者扱いされたことが恥ずかしいと感じた。というか、なんで宿題を学校でやってはいけないのだ?ホームルームなんてさほど重大事項を話すことなんて無いだろう。あるとすれば臨海学校とか修学旅行とかくらいのものだ。あと俺の母親のヒステリーが発症しだしたのも3年のころだと正確に憶えている。あとは、アットホームダットとか、ロングラブレター漂流教室とか、あのへんのドラマを熱心に観てた憶えがあるくらいだ。どれか関係してそうな材料ありますか?どうです?