それにしても人生はおかしい

比較的裕福な現代日本に暮らしていながら衣食住が充足していない。服は去年のヨレヨレのシャツを着ているし、お金のあまりの無さからお腹がすいても食事を我慢するときがしばしばある。そして住むところは実家である。いや、働いてないからそうなっているんであって、働けば満たされるかもしらん。だが、労働者の中に、衣食住において一切困らずに暮らせていない人は、少なくないのではないか?服は去年のものを着ていないか?食事を我慢したり、栄養や量に不足した刑務所以下の食事を摂っていないか?汚くて遮音性が皆無の欠陥住宅ばりのボロアパートに住んでいたり、料金が払えず水道やガスを止められたりしていないだろうか?そういった労働者が、たったの1人でもいないというのだろうか。そしてそのハードルをクリアした人たちでも、みんな幸福に過ごしているのだろうか?毎日がつまらなかったり苦痛に満ちていたりしていないだろうか。寂しく過ごしてはいないか?面白いことがひとッつも無いのではないか?あまりに満たされずインターネットへ過剰にのめり込んでいないだろうか。そういった人が1人もいないというのか?少なくないはずだ。なぜ?服にも食べるものにも住居にも困らない。ちゃんと生活できているのにどうしてこうも空虚なのか?もしかすると、幸せというのは幻想であり、ただ生きればそこが天井なのかもしれない、人生はここが限界なのかもしれない、でも周囲を見渡すとそうとは思えない。あきらかに満たされて生きている者がいる。家?車?結婚?子供?たしかに、それらを達成した者ほど幸福そうにしている傾向がある。では、それらを達成できない者はどうすればいい。ところで、動物はどうだ。猫でもペンギンでもなんでもいいけど、連中はどうすれば満たされるのだろう。メシを食って生きながらえれば成立するのか?そもそもそんな感情なんて持たないのかもしれない。いやしかし見たところ連中にもそういったものがありそうだ。そう、愛情だ。愛情たっぷりにかわいがられた猫を見よ。たしかに幸福らしい。おおよその人間は無条件に猫をかわいがるものだ。しかし、おおよその人間は人間をかわいがることはほとんど無い。人間が死ぬ推理小説などはクレームが無いのに、猫が死ぬ小説を書くと激しく抗議された、と皮肉った小説家がいた。人間は、人間より猫が好きだ。動物が好きだ。幸福の正体が愛情なら、なるほど一生愛されない人間は一生満たされない。そして愛される条件は容姿が100%を占める。人間の容姿をしたものが、四足歩行になり、ニャーと鳴けば、人間から無条件にかわいがられるだろうか?猫はあの容姿だから愛されるのであって、愛される容姿に無い者は一生愛情を受けることなく生涯を終える。つまり、この満たされない日々からの解放は、努力どうこうで解決するものではない。諦められたらどれだけ救われるだろうか。しかし諦めることは不可能に近い。確実な解放は、死、あるのみ!