死に方は生き方という言葉

東京旅行の思い出記事の更新をサボっていますが、きょうはインスタグラムで読んだまんがのセリフについて思ったことを。
そのまんがの内容が「ろくでなしだった自分の父親が孤独死してむごたらしい腐乱死体で見つかった」という内容だったのだけど、そのことを主人公が息子に話すとその息子が「死に方って生き方だよね」と言う。
なるほどと思った。俺の母方のじいさんは認知症にかかって重度の被害妄想にかられ母親も介護を放棄して最後は孤独死したのだが、おれはじいさんのことをどういう人物なのかよく知らないが、おれにめっぽう甘かったにも関わらず、なんとなくおれはじいさんのことが好きではなかったし、なんだか懐きづらかったし、たぶんそういう、人から好かれなかった人物なんだろうと思う。その生き方の結末が孤独死ということか。
ところでおれの母親はどうだろうか?さきにサラッと記したが自分の父親の介護を放棄した人物である。それにも関わらず葬式ではメソメソと泣いてほかの親族を心配させ迷惑をかけていた。他者への説明は困難なので説明はしないが、おれは誇張表現を抜きにして母親のことを不倶戴天の生物と思っている、ゴキブリ以上の。
母は中卒で学がなく、知識が乏しく思慮は浅く、本は読まず新聞は読まずたまにテレビニュースを流し聞きする程度で、1日も欠かさず毎晩焼酎をかっくらっては酔いつぶれてリビングで寝たりヒステリーを起こすのが日常の人物である。つまりそう遠くない未来確実に肝臓を壊すか認知症にかかって死ぬ。
平均ほどにでも人から好かれる人物であったならそこで息子である俺の介護を受けるだろうが、俺はこの生物が肝臓を壊そうが脳が壊れようが手足がもげようが介護するつもりはない。そもそも自分の親を見殺しにしておいて自分は介護を受けようなんてのは都合がよすぎる。
ついでに彼女に友達はいない。友達と飲みに行くとか旅行するとかいう場面を見ることが何年かに1度しかなく、そうとう交友関係は狭いというか、その飲み会というのも会社の飲み会とかで、つまり友達はいない。
なので彼女が肝臓と脳を壊して廃人になったとして面倒を見てくれるのはたぶん父親くらいしかいないが、いまの段階ではそう思えるけど、そのときになったら父親も匙を投げる可能性もある。そうしたらいよいよ病室か施設でひとりきりになって孤独で惨めな死に方をするだろう。その死に方が彼女の生き方だったわけだ。
おれはもう少しいろんな人に世話されながら死にたいな、がんばろう。人との関係はその人を性格を理解して長い時間をかけて少しずつ構築するものだと「僕ヤバ」に書いてあった。読書しててよかった。