女性の夜道は危険なのに「働きたくない」がなぜ罪なのかという疑問と考察

女性が夜道を1人で歩くのは危険なことだ。暴漢に襲われるという事件の前例がザラにあるからだ。だからそういった状況を避けようとする女性を、いったい誰が咎められようか?

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ところがパワハラ、いじめ、暴行、給料未払い、過労死といった過酷な事件の前例が山ほどある、労働というシーンにおいては、それを避けようとして働かないとするのは許されないらしい。
実際のところ働きたくないという人のほぼ全員が、労働あるいは社会場面において嫌な目にあったり辛い思いをさせられたから、その事態を回避しようとしているのだと思われるが、しかし不思議なことに、女性が痴漢やレイプやひったくり等を避けようとすることとまったく同質の行為であるにもかかわらず、こちらは一般的には許されない行為でありそれどころか罪であるとさえ認識されている。むしろ、そういった労働場面での被害は甘んじて受けるべきであり、被害に耐えられない者は人間的に虚弱だと看做されるのがスタンダードである。
夜道を避ける女性と労働を避けようとする人のこういった扱いの違いには、被害に対する世間の認識の違いから来ているものなんだろう。痴漢やレイプに関しては「ひどい」「かわいそうだ」「女性の人権を踏みにじっている」といった認識があるが、労働における被害については「そんなのは当たり前」「過労くらいで人権を主張するな」との認識がある。この違いに論理的な根拠はおそらく無く、イメージ的なものや、メディアの働きの効果あっての固定観念によるものかと思われる。
一歩間違えれば「いい歳して夜道も1人で歩けないのか」「レイプくらいでどうしたというのか」みたいな世論も生まれていたろうし、そうして女性は嫌でも夜道を歩かざるを得なくなり、被害は現実より圧倒的に増えていたところだろう。
結局、自分の身を守るには、世論に頼っていてはだめらしい。危険だと思ったなら、誰が何を言っていても、そのシーンを極力回避すべきだ。そういった点で言えば、つい最近になって行政とメディアがようやく災害対策を訴えるようになったけど、それ以前から家族や近隣住民から鼻で笑われようともしっかり対策していた人は大したものだ。北朝鮮のミサイルがなんとかと騒がれてたとき(といっても多すぎていつのことか分からないけど)、バイキングを観ていたら、個人用地下シェルターをなかなかの額で購入し、きたるべきミサイル被害に備えている人が紹介されていて、バイキングもこの人も真剣だというのに俺はフフフと笑ってしまったのだが、今考えてみるとあれは正しい行為のようだ。俺もまだまだ修行が足りない。