ひきニートたるもの健常者の話のネタになるべし

ひきニート、特に文章を書くタイプであれば、他人に嫌なことを言われたり傷つけられたことを、ひきニート特有の被害妄想と拡大解釈を働かせてSNSやらブログやら掲示板やらに書き殴るということは、しばしば経験があるはずだ。ならば我々は、ネットの書き込みのネタになってくれた健常者どもに、還元する責務があるに違いない。きっとある。では、どのようにして、健常者どもの話のネタになればよいのか?これは、いたって簡単だ。健常者には困難であるが、ひきニートにとっては朝飯前の話だ。ひきニートたるもの、ほぼ例外なく、認知や思考が歪んでいる。それはもうグロテスクなまでに歪んでいる。だから、人に合わせるとか、空気を読むとか、そういった意識を捨てて、ありのままに言動をとればよい。「レイプされるのは女が悪い」「北朝鮮や中国の工作員が日本に何百人潜入してる」「いじめを働いたやつは全員死刑でいい」「俺がニートなのは親と社会が悪い」とかそれだけで、健常者どもはたちまちドン引きするだろう。そうしてドン引きした健常者は、さわやかな友達や、恋人、家族らの元で「今日めっちゃキモいひきニートがこんなこと言うてたで!」「えーなにそれめっちゃキモーイ死ねばいいのに!!!ひきニート死滅しろギャハハハハハ」と大盛りあがりすること請け合いである。実際、テレビ番組などでも、ひきこもりやニートの言動をとりあげてスタジオで「うわーキモいですねぇ」と嘲笑し、視聴率を稼ぐという手法はしばしば採られている。最近で言えば、父親に殺害された被害者・熊澤英一郎氏の家での態度やネットでの発言がとりあげられ、コメンテータードン引き、視聴率のエサとなり、また「ひきニートはぶち殺されても仕方ない、ぶち殺しても構わない」という世論を作る材料として利用される運びにもなった。それくらい、ひきニートの歪みというのはネタになりやすいのだ。
人と人との繋がりは持ちつ持たれつだ。ネタを恵まれたならネタを与えねばならぬ。常識的なコミュニケーションの困難なひきニートにできる還元といえば、まさにこういうことだろう。立てよひきニート!いまこそ社会の真ん中でおのれを解放するときだ!