野球選手とアイドルって似てるかもしれない

私にはとりえらしいとりえがほとんど無いのだけど、唯一野球だけは人並み以上にできる。私は今年30歳になるけど、日本全国の30歳の中では平均以上に野球ができる自負がある。そしてその自負は私にとっての唯一の支えというか誇りのようなものになっていて、つまり野球がある程度うまいからこそ完全に自信を喪失して他人におびえながら暮らす生活からいくらかは免れている。多少は胸をはって町を歩ける状態でいる。野球がうまいことと町で胸を張れることとなんの関係があるんだって話だが、案外自信のある人間は生活と関係のあるなしにとにかくとりえさえ持つことによって自信を育てているんじゃなかろうか。
それはたとえば美貌でもそうだ。すぐれたルックスを持つ人はそれだけでいくらか自信につながっているだろう。しかし美貌はかならず衰える。だれもが10代、20代のころはすぐれた美貌を持っていても、歳をとるとシミやシワやたるみによって醜くなっていく。美魔女・篠原涼子でさえ20代のころとどっちが美しいかは一目瞭然だ。その点においては美貌と野球の能力とはよく似通っていると思う。私もこの年齢なので、少しずつ衰えが出だしている。具体的には脚力が衰えてきた。そのうち動体視力とか反射神経とか、野球に必要な能力が徐々に低下していき、いずれは打ても走れも守れもしない、それどころか試合にでれば筋肉をつったり肉離れを起こすようなポンコツプレイヤーになっていくだろう。私が所属しているチームにも実際そういうおっさんがいて、そしてそのおっさんはよく「俺は昔はすごかったんだ」という話をする。どうも昔のすごかった自分を忘れられず、現在のポンコツプレイヤーと化した自分と向き合えていないふしがある。いまだに「俺は打てる走れる守れるスーパープレイヤーなんだ」と勘違い、あるいは思い込もうとしているように見える。それは若かったころ優れた美貌をもっていた中高年にもある心理なのではなかろうか。自分はまだイケメンだ、美女なんだと過ぎた過去をぬぐいきれずに思い出の中に生まれた歪な自信を携えて生活している人って少なからずいるんじゃなかろうか。
だからそう考えると野球にせよ美貌にせよ、いずれ衰えていく能力がとりえであることはなんというか運が悪い。たとえば絵を描く技術は年齢による衰えというのはあんまりないし、歌なら歳をとるほど深みをましていくこともあるだろう。知恵なら加齢とともに熟成されていくかもしれない。でも野球と美貌はどうしようもない、衰えを避けることはできない。俺が野球をできなくなったら、どうやって町を歩けばいいんだろう。いまはメジャーから地下まですさまじい数のアイドルが量産されているけど、彼女たちは10年後、20年後どうやって町を歩くんだろう。