少しずつ暑くなってきた。俺は寒いと蕁麻疹が出る体質なうえに末端冷え性なので、寒いよりは暑いほうが好きだ。ある深夜、ほとほと今の現場仕事のバイトが嫌になって、ネットでボヤいていたら、ゲームクリエイターだという人物が相談に乗ってくれて、好きなことを仕事に、ということを、1時間ほどかけてこんこんと説いてくれた。俺は、最初は、高卒だからとか、資格がないとか経験がないとか、コミュ力が低いからとか、何も出来ない理由を提示していたけど、1時間も説教されると、よし、やってやろうじゃないか、って気持ちになった。きっと人を説得する上で必要なのは、しぶとく説明する根気強さと、あとは相手がどう言おうとキレたり投げ出さない忍耐強さだと思った。だから、俺が好きになる仕事を探すために、求人を端から漁っていこうと思う。岡山は、物流の町だから、業種に偏りがあって種類が少ないので、大阪まで範囲を拡げて探してみる。よし、がんばるぞ。

つかれたな

GW明け。おれのような非正規労働者(とりわけ時間給労働者)にとってGWなんてのは存在しないんだけど、なんとなくおれも10日ほど仕事をさぼった。で今日ひさしぶりに出勤して、相手の会社の人からいろいろ批難されて、うちのリーダーに迷惑がられた。いい加減もう働きたくない。おれが思うにみんなもっと真剣にお金の稼ぎ方ってのを考えてアイデアを絞り出さなきゃいけないんじゃないか。みんなお金は好きなのに、お金を稼ぐ方法を考えようとはしない。だから会社に勤めてサラリーをもらうという安直な手段に出る。あるはずなんだよ、会社勤めなんかしなくたってお金を稼ぐ方法が。おれのような会社勤めがままならないポンコツ人間だったら、なおのこと頭を絞らなきゃいけないだろ。しかし...金ってほんとどーやって稼ぐんだろう。どうしてもコンビニ強盗とか泥棒くらいしか現実的な可能性が見当たらない。泥棒なんてやったら被害者が迷惑するけど、働いたとこで会社の人間に迷惑をかけるだけなので、どっこいどっこいの行為だと思う。まあでも...物を売るってことだよな。お金を稼ぐってことはとどのつまり物を売るってことだ。まずそこを基準にして思考をめぐらせていこう。じゃあおやすみなさい。

荒巻の教育論(?)

突然だがおれの母親はアルコール中毒のゴミクズ野郎である。なぜアル中の親がゴミクズなのかを説明していこう。もちろん、子供がいないとか、独身であるならば、アル中であってもかまわないことだ。勝手に飲んで肝硬変にでもかかって死んでくれればよい。だが親という立場の人間がアル中であることはタブーだ。おれがハタチほどのころ、同級生たちと飲んで、帰りにおれの家へ集まることになった。いやな予感がした。0時頃、家へつくと酒で酔いつぶれた母親がリビングで寝ていた。いやな予感が的中した。おれは母親を起こして、友達がきたから寝室に行くよう言うのだけど、やだ、ねむたい、とか言ってなかなか起きようとしない。それを見ていた同級生たちは「かわいい〜」と言う。おれは全歯が抜け落ちそうな違和感を覚えた。

最近ではよくツイッターなんかで「弱い母親を小さな子供が助けたり気遣ってくれる」構図の感動話の漫画がしばしば見られる。「とてもいいお子さんですね!」といった反応が多くいいねやリツイートもたくさんついて投稿者はとてもいい気持ちだろう。おまけに自分のことも肯定されるのだから。だがおれはきっぱり拒絶させてもらおう。子供に、ましてや幼い子に弱みを見せる親などゴミ、カス、蛆虫、プーチン未満の陰毛野郎だ!親が子供の心配をすることはあっても、子供に親の心配をさせるなんてのは、一種のDVだと思っている。子供にとって親は最も頼れる砦であって、親がたくましくてシャンとしてるからこそ、子供は安心して生活ができるものだ。そこで親が子供に自分は弱くて頼りないことを露呈したり自白なんぞしてみろ、子供はたちまち不安にさらされながら生活することになるだろうな。子供に心配させて感動話に仕立てて漫画描いてるやつ、おまえを心配するとき子供がどういう気持ちでいるか想像したことがあるか?強烈な不安と恐怖にかられながら、メンヘラ野郎のご機嫌を薄氷を履むような必死の気持ちで伺ってんだ。いい歳こいた立派な成人のオメーがガキの心配することはあっても、まだ生まれたてホヤホヤの迷子になる程度で大泣きするようなか弱いか弱いガキんちょに心配されたり気を遣われるなんて、生きてて情けないとは思わないのか?申し訳ないと思うことはあっても「なんていい子なのかしら!」って感動するなんておまえ頭蓋骨の中からっぽじゃねえのか?親はいくらか弱くても心もとなくてもガキに弱さを見せてはいけない。痩せ我慢してでも強くたくましくでっかい姿であり続けなきゃいけない。
よっておれの母親がゴミクズであることがお分かりいただけると思う。毎晩安い焼酎をかっくらってはヒステリーを起こし喚いたり物にあたり、やがて酔いつぶれてテーブルに突っ伏して眠る、あげくには「やだ、ねむたい」とか言って赤ちゃん返りまでするありさまだ。これのいったいどこが「たくましくて強くてシャンとしている」のだろうか?それどころか真逆の「弱くて頼りなくて頼りない」を爆走する行為だ。おれは幼いころから母親のこういう姿を見せつけられて育ったものだから、つねに不安と恐怖に駆られながら、必死こいて母親の機嫌を伺っていたものだ。
まあしかし、それでも「うちの子は性根から優しいの!わたしは子供を不安になんてさせてないわ!」というのなら好きにしたらいいと思う。よそのガキが不幸になってもおれの知ったことじゃあないしね。ツイッターでいいねもらって気持ちよくなるためにガキの目の前でメンヘラぶっこいてりゃいいんじゃないですか?(地獄絵図だな)

都会と田舎の人間の傾向

きょうはとある大手メーカーが神戸から岡山へ出張にきて、一緒に仕事した。おれはその大手の社員の、若くて美人の社員と仕事してたんだけど、なんていうか、品性がある、と思った。先日広島へ旅行したときに受けた印象が、広島の人間は暗い、ってことだ。岡山の人間も暗い。おれは東京にいたことがあるんだけど、やはり地方や海外から人が集まる町なだけあって、東京の人間は社交的で開放的な性質があると思う。おれは東京で就活していたんだけど、ある企業の面接を受けて、その帰り、おなじく面接にきていた若い女性とエレベーターで一緒になって、駅までここの面接はああだったこうだったって話しながら歩いたことがある。それがどうかしたの?って思うかもしれんが、岡山の風土からは、こうした「ついさっき見知ったばかりの若い人と一緒に歩く」ってことになることは無い。都会であればあるほど、「他人と接触することに抵抗が低い」傾向があるように思う。翻って田舎の人間ほど、閉鎖的な社会、人間関係の中で暮らすので、だからおれは岡山や広島の人間を暗いとか、品性がないって感じるんだろう。

日記

きょうは雨だった。仕事もなかったのでずっと家の中にいた。あんまりひきこもってるのは精神衛生上よろしくないので、せっかく自動車を持っているんだから、ドライブにでも出かければよかった。
おれはコンビニのサラダのパックを買うとき、ドレッシングを買わないで、素のまま食べるんだけど、そうするとレジでかならず店員からドレッシングはいらないのかと聞かれる。おそらくどの客もドレッシングも買ってるからそう聞かれるんだろうけど、サラダってそんなにドレッシングありきの食事なんだろうか?素のままの方がおいしいと思う。
しばらく休んでる草野球だけど、先日チームの同級生からLINEがきて、30日は顔出してほしいと言われた。理由を聞いたら、おれがいないとつまらないから、って言われた。うれしかった。なので30日は顔を出すけど、でも誰かが喜んでくれるからって理由で野球を続けていくのは難しい。もう野球そのものにモチベーションを失っているのだから。30日に行ったらまたしばらく休むか辞めるだろう。辞めた方が精神的にはいいと思うんだけどね。
あしたは仕事。心を無にして勤めよう。

思ったことをざくざくざっくり


家なき子。おれが生まれたくらいのころに放送されてたドラマだが、1年ほど前に観た。とんでもねーストーリーだった。周知の通り主人公は小さな女の子だが、まずこの子が第一話からすさまじい。自分の父親を殺すためにアパートに火を放つのだ。で父親は死ななかったんだけど、こんどは「お父さんが火をつけたんです」と泣きじゃくる演技をしながら警察にうそをついて、父親を冤罪で逮捕させる。主人公は学校でいじめられていたが、担任の先生だけは味方になってくれた。そんな優しい先生も金に狂っていき、最後はビルの屋上から落ちて死ぬ。頼れる人がいなくなった主人公は街をさまよいながら、ゴミ箱をあさり食べかけのハンバーガーを拾って食べる。街の人たちがその光景を見てドン引き、主人公は連中に「同情するなら金をくれ!」と叫びながらこのドラマは幕を引く。いじめやドメスティックバイオレンスなど、苛烈な描写の目立つドラマで、ゆとり世代のおれにはとにかくショッキングだった。刺激が足りない人はどうぞ。

焼き鳥が食べたくなって居酒屋へ行った。かしわやらねぎまやら注文して待ってたら、鳥の唐揚げやフライドポテトなんかの揚げ物の盛り合わせが出されて、「注文してないと思うんですが」って言ったら「サービスです」と。サービスでくれたならちゃんと食べなきゃいけないと思って、ぜんぶ食べたけど、揚げ物てんこもりだから大変で、食べ終わったらおなかいっぱいになった。そこへ注文した焼き鳥が出された。せっかく注文したんだから食べなきゃもったいないので無理やり食べたけど、もうおいしくともなんともない。苦痛だった。サービスはありがたいけど、言っちゃなんだが要らないサービスだった。

いま地球上でもっとも命の尊さを知ってるのは、食べ物や医療のないアフリカとか、紛争のたえない中東の国々、あるいはロシアやウクライナの人々だと思う。命が危機にさらされている場所や人ほど命の尊さを知っているものだと思う。その理屈でいえば、世界で最も治安のいい国である日本や日本人は、世界で最も人命を軽んじているのではないか。年間2万や3万の自殺者がそれを物語っている。自殺するってことは、自分の命に価値などないと思ってるってことだ。ニュースで事故や事件で死人が出ても、大抵の日本人は、へぇ、くらいにしか思わないだろう。治安が良すぎるってのは却って毒じゃないのか。日本でも戦争が起きればいいなんてのはムチャクチャだけど、安易に夜の街へ飲みにはいけないくらいの危険さがあってちょうどバランスがいいのかもしれない。

以前このブログに書いたことだけど。
科学が発展して神に祈る必要がなくなった現代に神社がある理由は何か。人は日々の忙しさに追われているうちに、自分の願いや目標を見失ってしまう。それを改めて確認するために、神社へお参りに行くのだろう。

ではさいなら。

たまには悩みくらい書いてええやろ

きょうは労働がおやすみだった。あいかわらず定職にも就かず日雇いなんてして過ごしとるが、悩みってのはそのことじゃなくて、職場の人間のこと。おれが言うのもなんだが酷くポンコツな人がいて、Mと呼ぶとすると、このMさん、職場でものすごく評判が悪いのだ。仕事すればポンコツなうえ、愛想もないので、大勢に疎まれてるらしく、それゆえにやたらとMさんの陰口が聞こえてくるし聞かされる。おれが優秀で有能な人間なら一緒に陰口叩いて盛り上がるところだが、おれもたいがいポンコツなので、Mさんに同情、いやそれだと語弊があるな、同情というより共感、つまりMさんが悪く言われることによって自分が苦しい思いをすることになる。危険思想の持ち主ならわかると思うけど、なにか凶悪犯罪でも起きたとき、容疑者がテレビやネットでバッシングされると、心苦しい思いをすることがあるが、そんな感じだと思う。そんなこんなでしょっちゅうMさんについて考えてしまって、さっきも煙草を吸いながら気にしてしまったんだけど、彼のことを考える都度憂鬱な気分になるので、考えたくない。しかも似たような悩みが草野球でも発生していて、ヘタな人のことを(誇張抜きで)常時陰口叩いているHというヤツがいて、Hに釣られて周囲も陰口を言ってるので、これまた腹が立つというか憂鬱というか。おれがこのチームに入ったときはこんな陰湿なチームじゃなかったんだがなぁ。それどころかみんな優しくてミスしてもドンマイって声かけていいプレーがあればみんなで盛り上がって、明るくて元気で楽しいチームだった(思い出が美化されてる可能性もあるが)。おれは最近野球へのモチベーションが著しく低下して参加を控えているのだけど、休んでる理由はそれだけでなくHやその周囲の連中に辟易して酷くストレスだからってのもある。仕事に行っても野球に行っても人間関係でウンザリさせられる。やっぱり、1人で働いて1人で趣味に没頭するのがいいだろう。1人で出来る仕事なんて絵を描くくらいしか思い当たるものはないし、おれの絵の技術はお金になるほどじゃないからなぁ。ちょっと難しい。野球は好きだけど、野球にまつわる人間がクソすぎる。マツコ・デラックスが「野球部出身は全員クソ野郎」みたいな発言をして話題になったことがあるけど、そのとおりだと思う。野球部の人間をずっと昔から間近に見て過ごしてきたおれに言わせりゃ、たしかに大半はクソだ。ていうかね、人間自体がクソですよ。ぼくは先日、生活困窮者を装ったやつに1万円騙し取られたんですがね、そのとき痛烈に思い知りましたよ、「人間は愚か」だと。ロシア軍もウクライナ人を虐殺してることだしね。失念しがちな前提ですけど、大事ですよ、人間は愚かってこと。だから野球だなんていろんなやつが集まるゲームは避けたほうがいいですね、好きだから助っ人に行くくらいならかまわんでしょうが、チームに所属して毎週やるのはよくない。登山なんてどうだろう。1人で体を動かす趣味だし、ハマってる人が多いあたりきっと楽しいのだろう。空手にも興味はあったんですけどね、ムカつくヤツをいつでもぶっ飛ばせる力はあったほうがいいでしょう。でも空手も愚かな人類が道場に集うことを考えたら、習うのはよしたほうがよさそうだ。よし、あしたさっそく登山のやりかたを調べよう。