荒巻の教育論(?)

突然だがおれの母親はアルコール中毒のゴミクズ野郎である。なぜアル中の親がゴミクズなのかを説明していこう。もちろん、子供がいないとか、独身であるならば、アル中であってもかまわないことだ。勝手に飲んで肝硬変にでもかかって死んでくれればよい。だが親という立場の人間がアル中であることはタブーだ。おれがハタチほどのころ、同級生たちと飲んで、帰りにおれの家へ集まることになった。いやな予感がした。0時頃、家へつくと酒で酔いつぶれた母親がリビングで寝ていた。いやな予感が的中した。おれは母親を起こして、友達がきたから寝室に行くよう言うのだけど、やだ、ねむたい、とか言ってなかなか起きようとしない。それを見ていた同級生たちは「かわいい〜」と言う。おれは全歯が抜け落ちそうな違和感を覚えた。

最近ではよくツイッターなんかで「弱い母親を小さな子供が助けたり気遣ってくれる」構図の感動話の漫画がしばしば見られる。「とてもいいお子さんですね!」といった反応が多くいいねやリツイートもたくさんついて投稿者はとてもいい気持ちだろう。おまけに自分のことも肯定されるのだから。だがおれはきっぱり拒絶させてもらおう。子供に、ましてや幼い子に弱みを見せる親などゴミ、カス、蛆虫、プーチン未満の陰毛野郎だ!親が子供の心配をすることはあっても、子供に親の心配をさせるなんてのは、一種のDVだと思っている。子供にとって親は最も頼れる砦であって、親がたくましくてシャンとしてるからこそ、子供は安心して生活ができるものだ。そこで親が子供に自分は弱くて頼りないことを露呈したり自白なんぞしてみろ、子供はたちまち不安にさらされながら生活することになるだろうな。子供に心配させて感動話に仕立てて漫画描いてるやつ、おまえを心配するとき子供がどういう気持ちでいるか想像したことがあるか?強烈な不安と恐怖にかられながら、メンヘラ野郎のご機嫌を薄氷を履むような必死の気持ちで伺ってんだ。いい歳こいた立派な成人のオメーがガキの心配することはあっても、まだ生まれたてホヤホヤの迷子になる程度で大泣きするようなか弱いか弱いガキんちょに心配されたり気を遣われるなんて、生きてて情けないとは思わないのか?申し訳ないと思うことはあっても「なんていい子なのかしら!」って感動するなんておまえ頭蓋骨の中からっぽじゃねえのか?親はいくらか弱くても心もとなくてもガキに弱さを見せてはいけない。痩せ我慢してでも強くたくましくでっかい姿であり続けなきゃいけない。
よっておれの母親がゴミクズであることがお分かりいただけると思う。毎晩安い焼酎をかっくらってはヒステリーを起こし喚いたり物にあたり、やがて酔いつぶれてテーブルに突っ伏して眠る、あげくには「やだ、ねむたい」とか言って赤ちゃん返りまでするありさまだ。これのいったいどこが「たくましくて強くてシャンとしている」のだろうか?それどころか真逆の「弱くて頼りなくて頼りない」を爆走する行為だ。おれは幼いころから母親のこういう姿を見せつけられて育ったものだから、つねに不安と恐怖に駆られながら、必死こいて母親の機嫌を伺っていたものだ。
まあしかし、それでも「うちの子は性根から優しいの!わたしは子供を不安になんてさせてないわ!」というのなら好きにしたらいいと思う。よそのガキが不幸になってもおれの知ったことじゃあないしね。ツイッターでいいねもらって気持ちよくなるためにガキの目の前でメンヘラぶっこいてりゃいいんじゃないですか?(地獄絵図だな)