生きるということは息も絶え絶えの大事業です

メンタルの調子がよくない。このごろ、何かにつけてイライラすることが多いし、落ち込むし、お腹の具合を悪くする。
以前、カウンセラーの女に話したのが、俺は人と長く付き合えない、だんだんそいつに飽きてきて、イラつくようになって、とうとう何の話をしてもムカついて仕方がなく、しまいには俺がキレて付き合いをやめてしまう、だから友達をたくさん失ってきた、というような内容だったが、このごろはそのカウンセラーに対しても、いたたまれなさを感じるようになってきた。なんでも肯定してくれて、とかく俺の自己肯定感を高めようと努めてくれている。そんな優しさに居心地の悪さを覚えずにはいられないのだ。ツッケンドンに扱われるのは辛いけど、優しくされることにもどうやら耐えられないらしい。最近は、草野球でチームのために体を張ることが多く、この日本の夏の灼熱の中、肩の激痛と腰の痛みを堪えながら、マスクを被りマウンドに上がり、マスクを被りマウンドに上がる、他にも貧弱な脳みそ絞って采配して、声出し、ランナーコーチを勤め、スコアの記入もする。そんなことを毎週続けて、ゲームが終わるころには精神的にも肉体的にもずたぼろ、そのうえチームメイトから采配批判を受け、力無く笑うことしかできず、もはや草野球は娯楽にあらず、なにか一種の拷問めいてきたこのごろ、チームで数少ない仲のいい、30代半ばの、なんでも沖縄出身、仕事は介護士、いつも犬を連れている、メガネをかけて腹の出た打撃の達人、唯一その人物だけが俺を気遣ってくれる。俺の苦労を理解してくれているらしく、俺に言葉をかけてくれるが、俺はその優しさに対して、いやぁ、大丈夫ですよ、平気ですから、と激しい発汗のあとの頭痛に内心悶絶しながら、突っぱねることしかできない。どうにも優しくされることが嫌だ。あわれみを受けるのがいやだ。そうしていつも優しさやあわれみに飢えている。俺の苦しさはこの性癖から来ているものではないかしら。
それにしても小山田の件、そりゃ誰しも罪の一つも犯さずに生きることは不可能だろう。この世の道理はただひとつ、罪を犯したら誠意をもって謝ることだ。世間にではなくその人にだ。ただ彼に関しては謝罪したところで、もはやその、パラリンピックの式のプロデュース、とかなんとか、そんな役職を務めていい段階では無いように思える。まあ、ただ、この国の五輪には、ちょうどいい、ふさわしい人物であるとも言える(笑)