ふりかえってみると11月は凄惨な一ヶ月だった

11月の頭、おれのだいすきなじいちゃんが死んだ。じいちゃんはおれのことをかわいがってくれたわけじゃあないんだが、おれはクールでタフで人間がデッカイじいちゃんのことをカッコイイとおもってて、大好きだった。以前から肺や腎臓がこわれていて、いつも苦しそうに呼吸していて、そうとうしんどかったとおもう。それでもじいちゃんは明るく振る舞った。そういうところがほんとうにカッコよかった。危篤状態になって救急車で病院に運ばれて、まもなく逝ってしまった。おれはじいちゃんの亡骸の胸をさすりながら、ようがんばったのお、これでラクになれてよかったなぁ、長く生きてくれてありがとうな、と泣きじゃくりながら別れの言葉をつげた。

それに限らず悲劇はつぎつぎと俺に襲いかかった。仕事でテンパってしまい、社員の足をひっぱって、ただただなんの役にもたてず、いたたまれない思いで過ごした。きつかった。

野球でもひどい目にあった。おれのチームにはHという、とてつもなく苦手なヤツがいる。「生理的に無理」というほどにきらいなヤツで、そいつが、チームの人間がみんな集まってる場で、おれに対してどぎつい説教をした。公開説教だ。企業において人前で怒鳴りつけたり説教するというのは、現代社会ではハラスメント行為とされているらしいが、これはまさにハラスメントなのではないか。おれは頭がまっしろになった。そしてだれもおれに同情してくれなかった。唯一、同級生で友達のUくんが、おれにやさしくしてくれた。

そのあくる週、おれはUくんが監督しているチームに入りたくて、体験参加をした。そこでおれがはしゃいだりフザけたりしていたら、チームにいる大阪出身のキャプテンの人間に、「いやおまえウザいねん」「ふざけんなよ」「おまえの格好ほんまにダサいねんけど」「ええ加減にせえよ」「ダルいわおまえ」「調子のんなよ」……などと罵詈雑言を叩きつけられた。とても心が傷ついた。いまだにあの大阪人の罵詈雑言がなんどもフラッシュバックして、楽しいテレビをみていても、音楽をきいていても、はては寝ようと目を瞑っても、あの罵詈雑言のトラウマが想起せられて、日がな一日苦しい思いをしている。Uくんも自分のチームのキャプテンを悪く言うわけにもいかないし、付き合いのあるおれのことを責め立てるわけにもいかないし、おれがバカなせいでUくんに苦心させてしまった。

そんなこんなでもう野球をやめようかな、とおもうようになってきた。ハラスメントを受けたり言葉の暴力を受けたりするくらいなら、もう野球なんてやりたくない。ということを、Uくんに話すと、「おれは荒巻といっしょに野球やるのは楽しいし、やめてほしくない」と言ってくれた。とてもうれしい言葉だった。しかしそれにしても、ここのところUくんに迷惑かけて気を使わせるばかりして、申し訳無さでいっぱいになってしまった。いま、とても苦しい。

そんな風に、11月はそうとうな地獄だった。死にたい。