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生きてるだけで偉い、なんてことあるわけない。そりゃ人間の寿命が50年だったり、疫病や戦争が絶えないような時代だったら、そりゃ生きてるだけでも大したものかもしれない。だが令和のこのご時世において生きることのハードルはずいぶん低くなった。国内で年間に2万から3万ほどの自殺者が出ていることを鑑みても、日本の人口からしたら割合としては低いほうで、やはり現代日本で生き延びることは難しくない。けっきょく、生きてるだけで偉いなんてのは、自殺を考える人へのからっぽな励ましのフレーズに過ぎない。しかも、からっぽゆえに自死希望者へはなにも響かない。ひっときだけ気を紛らわせる言葉にはなるけど、問題の解決にはいたらない。

孤独なら自分を頼れ他人を頼るな

就活の話ばかり書いても書く側も読む側もムナヤケするので今回はチェンソーマンについて思ったこと。

アサがひとりで先走って「わたしこれから吉田くんに告白されちゃうんだキャー」って思い違いをするシーン、なぜアサはデートはおろか会話もろくにしたことのない吉田に告白されることにまんざらでもなさげに頬を染めていたのか。

俺はラブコメマンガが好きだけど、ラブコメを読んでいると「なんでこのヒロインは主人公のこと好きになってん??」と疑問におもうことがしばしばある。ラブコメは往々にしてそのあたりの心理描写を端折るか匂わせ程度に済ませがちだ。だからその疑問については読者が各々で解釈するしかない。

数年前に友達から「バッファロー66」という映画をおすすめされて観たことがある。この映画もラブコメで、かんたんに内容を説明すると、主人公が見ず知らずのヒロインを誘拐するところから始まる。でふたりで一緒にあちこちへ逃亡してるうちにヒロインはなんか主人公のことが好きになっちゃって、主人公もまたヒロインを好きになって、ふたりは幸せになるのである。

ここでヒロインの側から、なぜ主人公を好きになったかを考えてみよう。いや、これはそんなに考える必要もない。単なるストックホルム症候群と見ていいだろう。では翻って主人公の側で見て、なぜヒロインのことを好きになったのか?これはいろんな意見にわかれると思うが、俺の解釈としては、主人公は寂しかったのである。正確なキャラ設定は憶えていないけど、たしか両親とは不仲で友達もいないような、そういう孤独な人間であったはずだ。寂しい思いを抱えてる人間は、自分のことをかまってくれる人を好きになる心理がある(チェンソーマンでいえばデンジもまた同じようなことを告白していたことがある)。個人的には主人公の「好き」の理由はそこにあったのだと思う。

アサが吉田に告白されそうになって嬉しくなっちゃってるのは、つまりアサも両親を失い友達もいない、孤独な少女だからだ。孤独だから水族館で自分のことにかまってくれたデンジのことも好きになる。正味の話、かまってくれればどんな男でもかまわないのだ。

話はちがうけど、どんな男にでもホイホイついていってあっさりホテルインする女性の心理というのはアサと同じなんじゃないか。

さいきんの就活にいよいよメンタルが限界に追い込まれていた俺は、きょうの精神科の予約を心待ちにしていた。俺の苦しさをわかってほしい、やさしくしてほしい、そんなあまっちょろい妄想をしていたが、カウンセラーとは話が噛み合わず、医者は「あなたに働く意欲がないからいけないんだわ」とツッケンドンに突き放されて、俺はこのクリニックを放火してやろうとさえ思ったが、しかしひとつ気がついたことがある。自分の心細さを、精神科医やカウンセラーなど、他人に頼って埋めようとしていたことだ。

それは寂しさを埋めようと男の愛情を求めてさまようアサやアサのような尻軽女の思考と大した違いがない。自分の不安を他人で解消しようという発想がそもそも間違っていて、その発想はなおのこと自分をくるしめることになる。なぜなら他人は自分の思うとおりの行動をしてくれはしないのだから。

どれだけ不安でも、頼れるのは自分だけであり、しょせん人はひとりで生きるのだ。

リリカルトカレフキルゼムオール

いよいよ本格的に生きる気力が消失せられてきた。

きょうは面接にいった。面接を受けて1時間後に不採用の通知がメールに届いた。

そんなに就職したいとおもう会社でもなかった。むしろミナミの帝王かウシジマくんにでも登場しそうな、うさんくさい業務だったので、落ちてよかったすらある。しかしそれは一般論であって、就活生のメンタリティはそうなってはいない。希望していない企業であっても、落とされれば問答無用に落ち込むものだ。

こうなったら一生バイトでもいい。いや、バイトに受かるかすら怪しいけど、とにかく正規雇用にこだわることはないだろう。年金なんて払ってもドブに金捨てるようなものだし、この国に未来なんてないのだからあと10年もしたら首を吊ろう、そう考えたらべつに生涯フリーターでもいい。だいいち、俺という人物を鑑みると、フリーターであっても働いて、生きながらえるだけで、けっこう大したものだ。WBCにたとえると中野拓夢の活躍に匹敵する頑張りだ(中野がいなけりゃ日本代表は崩壊してたからね)。

しかし面接官、採用人事とは頭の悪い生き物だ。かれらは就活生を見下してあまつさえ「ここで働く意欲」なるものをテストしている。いったい何様のつもりなんだ?人手がほしいっていうからこっちはガソリン代、駐車場料金、証明写真代を払っておまけに履歴書や職務経歴書を作成する手間までかけてるんだ。そのうえ今日にいたっては雨まで降っていた。そうして来てくれた就活生にテストしようとは常識外れも甚だしい。だいいち人事なんて企業の威を借りてるだけで、おまえが偉いわけじゃねーんだぞ。なにか勘違いしてやがるよな。このあいだ安倍元首相が殺害されて全国会議員が震え上がる思いをしたが、世の人事連中も一度分からせた方がいいんじゃないか。まあ殺すとも殺せとも言いませんけど。

優柔不断

面接で志望動機を聞かれたときはどうすればいいのか。そりゃ、自己実現をするためにうんたらかんたら、社会貢献のためにうんたらかんたら、そんな聞こえのいいことが言えればいいけど、俺にはそんな高尚な思想がない。演技する気もない。「ジェイック」ではその高尚ぶる演技を強要されたけど、たちまち精神的に激しく疲労するだけだ。だから今回の就活では、志望動機をお聞かせください、などとマヌケな質問を投げられたら、給与がいいから、とか、休日が多いから、とか、本当のことを言うつもりでいるのだが…、こまったことに、なぜ俺はこんなところに応募を投げたんだ?と自分でも応募した理由がわからないような、給与が安かったり、残業が多かったり、休みが少ないところばかりと面接するスケジュールになっている。こうなっては、志望動機について正直に答えることすらできない。なんにも言うことがない。「ありません」「なんとなく応募しました」これではさすがに面接官もあきれるんじゃないか。給与や休日を挙げたところであきれられることには変わりないが、まだ理由を答えているだけ会話が成立しているというか、面接官によっては「まあそうだよな」って納得してもらえるかもしれないが、「ありません」はさすがに「こいつはバカなのか?」と思われそうだ。ギャグやウソを言って人にバカだと思われることはなんでもないのだが、それが自分の実の部分から出た真実の言動であったなら、バカだと思われるのは屈辱だ。だからといって聞こえのいいウソで取り繕っては苦しい思いをさせられる。いったいどうしたらいいのか。俺はdodaという転職エージェントから求人を取り寄せているのだけど、まさか面接をボイコットするわけにもいかない。そんなことをしたらdodaから求人をもらえなくなるかもしれない。元はと言えば関心のない求人にも応募するよう俺に働きかけたdodaの側も悪いけど、実行したのは俺であり、俺の優柔不断さが招いた事態なんだ。やっぱり、面接は受けるだけ受けないと、(頭の悪い言い方をすると)スジが通らない。さて、志望動機についていったいどんな言い訳を用意すればいいんだろうな…。

就活中

人生で3度目の就活中。自分ひとりで活動するにもなかなか企業に応募できなかったり、求人が見つからなかったり、職務経歴書の作り方がわからないので、エージェントに登録して進めてる。職務経歴書といっても、俺には正確な意味での職歴というのがないのだから、書きようがない。中途採用だからって、職歴ある前提で募集かけるのやめろよな。ドロップアウト組には用無しって言いたいのか?そういえば、むかし就活してるときに、書類選考を通過して面接へ行ったら、書類選考を通した理由について面接官から「こんな(汚い)経歴してる人間がどんなのか見てみたかった」といわれたことがあった。そのときはピンとこなかったが、ようするに引きこもりやニートをバカにして面白がってるだけじゃないか。採用するつもりなんてさらさらない。あげくに志望動機を答えたら「何言ってるかわかんないね」とまで言われた。もちろん面接は落ちたんだけど、こんなところでも不採用を叩きつけられたらショックを受けるのだから、就活生とはあまりにかわいそうな身分だ。なんでも、2018年は150人が就活を苦にして自殺したらしい。理由が明確になってるだけでも150人だから、遺書を残してなかったとか、就活に頭やられたけど遺書には就活を理由に挙げてなかった人とか、そういうのもひっくるめたら150人では済まないわけで、しかもこの問題はとくにメディアに取り上げられるわけでもなくほったらかしにされているので改善することもなく、依然として毎年150人以上が就活によって命を絶っていることになる。韓国では受験に失敗した学生は人生が終わってしまうそうだが、日本はサラリーマンになれなければ終わってしまうところがある。サラリー以外で合法に生活費を稼ぐ方法があまりに少ない。だいいち、企業はあまりに優秀な人材を欲しがりすぎだと思う。ポンコツでもカスでも、俺が面倒見てやる!ドン!ていう親分肌な企業がもっとあってもいいように思う。器が小さすぎ。ちなみに俺が落とされたその会社は岡山市の下中野にある「厨房市場」という。

自殺について

日雇い仕事をやめた。日雇いをやめるってどういうことか、退職するってわけでもない。ただ事務所からのメールと着信をブロックしただけなんだが、とにかく日雇いはやめた。嫌気がさしたとか、将来のこととか、そういうのもあるが、もう少し能動的な理由だ。ひでえ現場に入れられた。しかもすごく嫌いなやつと一緒に。それだけなんだが、まあとにかくそれだけで事務所を不振になって辞めた。いいだろ、いつまでも日雇いなんか働いていたってしかたない。おもしろいことや仲のいいやつもいたけど。これからどうするか。とにかく、応募が憂鬱だ。なんせ、職歴がボロ切れのようで、履歴書や職務経歴書を作成するのがつらい。提出しなくても書くだけでつらいし、それを提出したらみっともなさも上乗せされる。面接となればそこをつつかれる。しまいには「コミュニケーションに不安があるため」落選になる。やってらんねえ。もうまともな就労はできねえかもしらん、なにか就労支援みたいなサービスを活用して、この世の地獄、障害者や社会不適合者のつどう職場で気の遠くなるような単純作業や体の壊れるような過激な重労働に務めるしかないのか。俺の人生、どうしてこんなことになったのか。そういえば、このあいだテレビを見ていたら、上戸彩が登場して、彼女はなんでも「母親に家を買ってあげる」目標をかがげてそれをモチベーションに仕事していたそうだ。なるほど、彼女の親はそれくらいの嬉しい思いをしてもいいと思った。俺が親孝行肯定派だからではない。彼女がモデルや女優をできてかつ第一線で活躍できるほどの美貌に生んだ功績があるからだ。翻って俺の両親はどうだろう、ルックスはモデルや俳優をできるほどでもなく、知能は発達障害のボーダークラスの低さでまともに勉強も仕事もできない。スポーツは人並み以上にできるけど、プロになれるほどではない。こんな中途半端な生物に産み育てた俺の両親は俺から恨まれはすれど家を買ってもらうような権利はない。子育ての能力がないなら最初から生むべきではない。世の中あまりにもノープランに子供を作る愚か者が多すぎる。まあそれにしても最近は一旦立ち止まったり、そもそも子供を作らないというスタイルをとる人も増えてきたので、それはいいと思う。ただ、まあ、それより俺の人生だな…はっきりいって自殺以外の選択肢がないように思う。しかし自殺なんかできん。あれは、あの行為は、勇気を持つ選ばれし人間だけができる特別な行為なのだと思う。俺のような凡夫にはとうていできない、高度な行為だ。だから、生きていくしかないのかな。だいいち、この国の社会は、多様性多様性とうたっておきながら、あまりにも労働の種類が画一的だと思う。俺は草野球チームで活動していて、毎週だいたい10人ほどが集まるが、全員が会社勤めだ。自営業をやってる人なんてのはいない。みんな大きな組織に入ってその一員として働き、サラリーで生活している。田舎の商店街のちかくに大きなショッピングモールができて、商店街の中の小さな店は軒並み潰れて、みんなそのショッピングモールで働いてるような状況だ。おのおので仕事して生計を立てるほうが、自由で楽しいと思うんだがな。とにかく、そんな状況だから、そのショッピングモールの面接に落ちた人間は職にあぶれて、他に仕事もなく、たちまち生活が破綻する。よくない状況だ。みんなで独立して小さな仕事をして生計を立てる社会になっていけばいい。

友達を探すブログになりました

もう3年くらいはこのブログを続けている気がするけど、おそろしいことに読者は0人である。正確には1人いるが、行方不明だ。俺の日記はどこまで誰にも受け入れられないのだろう。ただ、もし俺のこの日記帳を、おもしろい!と思うやつがいたなら、必ず友達になれるだろう。こんなにも世の中から放置された存在に興味をしめすなんてのは、よっぽど奇特なやつだ。奇特と奇特どうしで、そりゃもうダウンタウンの松ちゃんと浜ちゃん、今日俺の三橋と伊藤、にじさんじ月ノ美兎と樋口楓くらいの熱い関係を構築できるに違いない。俺の日記に興味をしめす変態があらわれるのを楽しみにしながら、ブログを更新することにした。よろしくおねがいします。