孤独なら自分を頼れ他人を頼るな

就活の話ばかり書いても書く側も読む側もムナヤケするので今回はチェンソーマンについて思ったこと。

アサがひとりで先走って「わたしこれから吉田くんに告白されちゃうんだキャー」って思い違いをするシーン、なぜアサはデートはおろか会話もろくにしたことのない吉田に告白されることにまんざらでもなさげに頬を染めていたのか。

俺はラブコメマンガが好きだけど、ラブコメを読んでいると「なんでこのヒロインは主人公のこと好きになってん??」と疑問におもうことがしばしばある。ラブコメは往々にしてそのあたりの心理描写を端折るか匂わせ程度に済ませがちだ。だからその疑問については読者が各々で解釈するしかない。

数年前に友達から「バッファロー66」という映画をおすすめされて観たことがある。この映画もラブコメで、かんたんに内容を説明すると、主人公が見ず知らずのヒロインを誘拐するところから始まる。でふたりで一緒にあちこちへ逃亡してるうちにヒロインはなんか主人公のことが好きになっちゃって、主人公もまたヒロインを好きになって、ふたりは幸せになるのである。

ここでヒロインの側から、なぜ主人公を好きになったかを考えてみよう。いや、これはそんなに考える必要もない。単なるストックホルム症候群と見ていいだろう。では翻って主人公の側で見て、なぜヒロインのことを好きになったのか?これはいろんな意見にわかれると思うが、俺の解釈としては、主人公は寂しかったのである。正確なキャラ設定は憶えていないけど、たしか両親とは不仲で友達もいないような、そういう孤独な人間であったはずだ。寂しい思いを抱えてる人間は、自分のことをかまってくれる人を好きになる心理がある(チェンソーマンでいえばデンジもまた同じようなことを告白していたことがある)。個人的には主人公の「好き」の理由はそこにあったのだと思う。

アサが吉田に告白されそうになって嬉しくなっちゃってるのは、つまりアサも両親を失い友達もいない、孤独な少女だからだ。孤独だから水族館で自分のことにかまってくれたデンジのことも好きになる。正味の話、かまってくれればどんな男でもかまわないのだ。

話はちがうけど、どんな男にでもホイホイついていってあっさりホテルインする女性の心理というのはアサと同じなんじゃないか。

さいきんの就活にいよいよメンタルが限界に追い込まれていた俺は、きょうの精神科の予約を心待ちにしていた。俺の苦しさをわかってほしい、やさしくしてほしい、そんなあまっちょろい妄想をしていたが、カウンセラーとは話が噛み合わず、医者は「あなたに働く意欲がないからいけないんだわ」とツッケンドンに突き放されて、俺はこのクリニックを放火してやろうとさえ思ったが、しかしひとつ気がついたことがある。自分の心細さを、精神科医やカウンセラーなど、他人に頼って埋めようとしていたことだ。

それは寂しさを埋めようと男の愛情を求めてさまようアサやアサのような尻軽女の思考と大した違いがない。自分の不安を他人で解消しようという発想がそもそも間違っていて、その発想はなおのこと自分をくるしめることになる。なぜなら他人は自分の思うとおりの行動をしてくれはしないのだから。

どれだけ不安でも、頼れるのは自分だけであり、しょせん人はひとりで生きるのだ。