日に日に義務として課せられつつある絵を描くという行為

俺の好きなことってなんだろう。野球、麻雀、ゲームやまんが...おそらく、或いは、ひょっとすると、「好き」に含まれるものの中に「イラスト」がある。俺は特に若い頃、よくイラストを描いていた。稚拙ながらに描いていた。あのときは情熱があって、描くことがおもしろかった。だけど20代の半ばくらいから絵を描くことが苦痛に思われるようになって、いまでは1枚たりとも描いていない。だがいまでも「自分が好きなこと」について思案を巡らせると「イラスト」が浮かんでくる。なんの因果か俺と絵を描くことというのは切っても切れず、無意識ながらにずっと繋がっているようだ。
友達から5000円をもらった。もういまのバイトを続けたくない、ってボヤいていたらくれた。この金で元気を出せってことだろう。世の中の健康的な人達にはこの金を渡すという行為がピンとこないかもふしれない。「応援する」とか「寄り添ってあげる」とかそういう行為が正しいものと信じて疑わないだろう。だが俺の友達は知っている「金こそが真実」であることを。問題の解決も悩みの解決も結局のところ金の働きあってこそだ。俺はこの5000円以上のお返しをしようと考えているが、お金をもらったからお金で返すというのはいささか芸がない。いや、リアルを突き詰めると金で返すのが正着手なんですけど、やはりそこは遊び心というもので。金以外で5000円以上のお返しをするとなると、考えつくのはやはり「イラスト」だった。5000円以上の価値があるイラストを描いて渡そうと思った。俺が「あるいは好きなのかもしれない」リストの中で金を生み出せるのは結局「イラスト」だけだ。もはや「本当に好きなんだろうか?」とか「それで食っていけるのか?」とか迷っているヒマはない。どういうわけだか俺とは切っても切れないイラスト、これもなにかの巡り合わせか。描くことはすでに「義務」として俺に迫ってきている。この現実からは逃げられない、向き合うしかない。俺は絵で稼ごう。