人間は、そんなに軽くない、と思いたい

そういえばもうじき俺も28にもなる。そりゃあ、バイトに行けば、年下の子も増えるわけだ。だから、その子たちが、俺の指示を仰ぐ、なんて場面も、ときおり発生するんだけど、申し訳ない、俺はポンコツなんだ。仕事がまったくできないし、どう指示すればいいのかわからん。俺を頼らないでくれ、俺だってわからんのだ。
このごろは、日雇いのバイトに復帰して、週に2、3ほど顔を出している。だから、まあ、再来月の、車の保険料は、なんとかまかなえるんじゃないか。それにしても、みじめな生活だ。俺の同級生はみんな、定職に就いて自立して、家族を持ったり、あるいは死んだりしているのに、俺は死にもせず定職にも就かず、フラフラと生きて、女からはそっぽ向かれ、だらしない。この人生を恥ずかしく思わないことは無理だ。カウンセラーが言うには、恥ずかしい、という感情の原因は、人によるもので、たとえば私は、汗びっしょりの服を置き忘れて帰ったことを恥ずかしく思ったことがありますが、荒巻さんはどう思いますか、と問われ、どうとも思わないと答えると、そういうことです、自分が恥ずかしいと思ってることを、必ずしも他人もそう思っているとは限らないのです、だそうだ。このカウンセラー、どこかズレているのではなかろうか。俺の人生なんてのは、100人が100人、恥、みじめ、みっともない、といった感想しか抱かない。これは、根拠があるわけじゃないけど、なんというか、普通に考えればわかることだ。普通に考えればスポーツの世界から暴力が無くなることは無いし、普通に考えれば共産党が政権をとることはないし、普通に考えればパチンコ屋の儲けが北朝鮮へ流れるわけがない。全部現実性が無い。俺の人生が恥ではないという思念は現実的じゃない。幻想的な考えだ。